奈良朝の「正倉院文書」には観世音菩薩像造立の科に伊予砥石が納められたという記述があり、8世紀頃にはすでに中央に知られていた事が証明されます。
「砥部」という地名のルーツは、砥石をつくる職業集団「造部」(つくりべ)の意味であることからも産地として古い歴史を知る事ができます。 参考:「伊予砥ものがたり」
昭和の終わりに伊豫砥と呼ばれる砥部町産の伊豫砥は、安い人工砥石の出現や、生活様式の変化などにより、需要が減少し、途絶えておりました。
現在も需要は、ごくわずかですが、砥部焼の歴史のはじまりは、砥石にあると言うことを知り、砥部焼の原料を採掘する立場として、途絶えさせていけないと思い、復活させました。中~中仕上砥 としてご利用頂けます。販売もしておりますので、お気軽にお問い合わせください。